2011/02/02

菊地成孔氏の講演会に行ってきた

昨日5限の菊地成孔氏の講演会(というか講義か・・・)に行ってきました。 
http://www.tufs.ac.jp/insidetufs/event/doc/11012401.pdf 

帰宅ラッシュに合わせるかのような時間帯に甲州街道をタクシーでやってきたそうで、遅刻。
登場。YOUTUBEそのまま!!! 
というのは、「あれか?」「あの人か?」とか、そういうのなしで「あ!来た!」「出た!」「キクチナルヨシだ~!!!!」というのがあっさりと(プルメテウスホールだからなのかも知れんけど)静かに起きた、というかんじ。別に彼に影響されてこんな表現の仕方にいたったのではないですよ(と思いたい)。とりあえずオーラというかカリスマ性があることは凡感な私でもわかった。かも。 

「外語大だけに」今回考えていくのは「音楽は言語か」という問い。1回目の昨日は20世紀に見られた音楽と言語との関係性を扱った研究をおさらいし、2回目(最終回だけど)に現代の最先端をゆく菊地氏が今どのような取り組みを行っているかということをお話くださるそうです。結局阿呆な私には、問いがあまりに漠然すぎて、何をどう我々に伝えたいんだろうということが明白にならないまま今に至っております。 
なんか話してください、という無茶振りに近い依頼に多忙な中わざわざやってきてくれたというだけで有難いのに、面白いお話を時間過ぎても疲れを見せることなく話してくれた菊地氏の素晴らしさは脱帽×1000レベルだけど(あ、私べつに熱狂的なファンじゃないですよ)、音楽の専門家ですから、音楽の話をいっぱいしてくれてもよかったのではなかろうか。おそらく音大とかで音楽の話(音楽理論というやつ)を教えてるから外大では外大生の興味ある言語に関わる話をしよう、というこれまたサービス精神旺盛な発想だったのかもしれないけれど、そこがちょっとまずってしまっているかもしれないな~と思いながら私は聞いていました。 

「音楽=言葉?」という問いは、つまるところ音楽にも言語と同等の体系を持つ構造があるのか、ということだったと私は解釈しますが、菊地氏のおっしゃるようにこれは「アポリア」なのでしょうか。まぁ、なんかまとめとして、そういう構造があるかどうかということの証明は脱構築するところに垣間見られるとのことだったかと。例えば、音楽と言葉がぶつかる場面として歌詞を考えてみたとき(最近では西野カナ氏のようにメール文や話し言葉をそのまま使っているような歌もあるけれど考えてほしいのは歌謡曲)、歌詞の言語としての文法はめちゃくちゃです、だそうです。てことは!(と菊地氏は考えた)、音楽にも言語と同等の構造があるから、同等の構造がぶつかり合うので言葉が崩れるんじゃないか、と。脱構築することで実は構造があったということが示される、なぁんて思考のフロンティア読みたてホカホカの・・・・・・これ以上言ったらひどいな、やめとこ。 
確かに、お互いに規則とかルールとかいうものはあるかもしれない。でもだからってすぐ=(イコール)で結べないと思うよ。というか、菊地氏も結んでるわけではないけど。なんせ彼にとってアポリアだから。でもある側面から見るとこれ全くアポリアでもなんでもないのでは?というのは、音楽ってそれを使って情報交換行ってるんですか?楽譜が読めたり、Jazzに精髄してて相手が何をしているか、Jazzという形式の中でどんな試みをしてるのか理解できることと、文字が読めたり、他者の発話を聞いて理解することとがどうしても結びつかないのですけども。ある共通の音楽の形式を学んだ人同士が相手がやらんとせん事を分かり合うって、どちらかと言うと、強いて言えば、同じ文化や習慣を持つ人同士が他の人の所作からその人がやらんとせん事を推測できると言うのと似ている気がする。例えば電車やバスを待つ人の列。見て、あ~順番に並んでるんだと理解する「リテラシー」。割り込もうとしていることが分かる、譲ろうとしていることが分かる「リテラシー」。 
逆にじゃぁ音楽で情報交換をしているとすれば、何かしら記号があって意味があるってことか。でもCの後Eがきたら明日は晴れだってことを伝えてる、とかそういう共通理解可能な内容は無いよう?ある音のつながりにある特定の意味があるとかいっちゃったらそれこそ記号学とかに回収されちゃうよーん。菊地氏ソシュール用語多用してたからそれはそれでいいかもしれないけどさ。 
でも決定的にあ、ちゃちゃうわ・・・理論がちゃうかどうかは置いといても、ここ外大でしていい話とちゃうわ、と思ったのは「音楽は言葉だというアナロジー」が生じた所以として挙げられたCharlie Parkerの話。彼のJazzは北米の人たちが従来心地よく聞いていたJazzと違っていて聞きづらく、とてもでないが聞いて楽しめるものではなかったためChinese musicと罵られた→あんまりにも理解不能で、まるで外国語を聞いているかのよう→きっと音楽にも言語の文法と同じような構造があるに違いない→音楽=言葉?と言う思考経路だったというお話。外国語は耳障りなものじゃないよ~、罵られたり批判されうる対象ではないよ~。まぁこれまでのJazzとは違うものを生み出したCharlie Parkerは天才だったのでしょうし、それを受け入れられなかった人がたくさんいたと言うことは事実でしょうし、それが言語使用の通時的変化に似てるのかもしれませんけど。そういう散在する類似点をかき集めてみるなら「音楽はどの程度言語か?」なーんていう問い立てもありうるのかもしれない・・・多分・・・おそらく・・・うむむむ。 

とまぁメモもとらずにぼーっと聞いてたお馬鹿チャンチャンな私でもこんなだから、外大で言語について話すのは少々難有りだったのでは(つまり無難じゃなかったね)?それよりYOUTUBEで自分の音楽観について話してるほうがめっちゃ楽しいぜぃ。来週はなんか菊地氏ご本人の活動について話してくれそうな感じでおっしゃってた気がするので(なんせ早口で聞き取りにくいし、不慣れな言葉やいちいち定義してくれないと理解できない言葉多用されてたので講義のはじめのほう色々たくさん今回の講義に至るまでの流れとか講義自体の構成とか話してくれてたようなのは分かったけど、結局何が言いたかったのかはよくわからんかったのよ。お前はCharlie Parkerか!と多磨のはずれで叫びたい。)楽しみです。 
ギリシアの音楽は明治神宮でも聴けそう、とか、バッハはグルーヴィでポリリズムを感じる、とか、黒人=アキバ、とか(なんかA=B発想が強いみたいね・・・私は嫌いだけど)面白いお話だったので 

来週も行くよー。

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