2011/12/07

豪州における先住民族語教育と日本の少数言語教育 Day2


豪州における先住民族語教育と日本の少数言語教育  
世界言語社会教育センター(WoLSEC) 国際シンポジウム Day2 



Yolngu Studies Charles Darwin University (John Greatorexs先生) 
世界に広がるマリ語―東京外国語大学におけるマリ語入門授業実践について (田中孝史先生) 
オーストラリア先住民族語入門―Skypeを利用した双方向授業の試み 
(拝田清先生) 
アイヌの言語文化―アイヌ語学の授業実践 
(志賀雪湖先生) 

<Yolngu Studies Charles Darwin University> 
紹介されたウェブサイトは「みつかりません」エラーが出たのですが 
CDU Yolngu Studiesのサイトはこちら 
http://learnline.cdu.edu.au/yolngustudies/ 

<世界に広がるマリ語―東京外国語大学におけるマリ語入門授業実践について> 
マリ語とは、フィン・ウゴル語のひとつだそうで 
ロシアの中にマリ語を公用語とするマリ・エル共和国があるそうです。 
恥ずかしながら、ロシアの一部にぽかりと共和国があることすら 
知りませんでした。 
さらには外大に、結構マリ語を勉強している人がいることも 
知りませんでした。 
マリ語はキリル文字を使用するらしいのですが、またまた 
外大に結構キリル文字をたしなんでいる人たちがいることも 
知りませんでした。 
少数言語って、知らない事ばかり。 
だから(?)先生がおっしゃっていたように、その言語の存在を知らせること自体が 
大きな意味、大きな価値を持つんでしょう。 

マリ語はマリ・エル共和国内でも外国語教育の様に 
一科目として教えられるとのこと。 
また、「国家語であるロシア語の圧倒的な力に押されて、危機的な状態にる」。 
そこで質疑応答では、 
実際マリ語はどのレベルまで使用されているのか、という質問が。 
結局、そこは難しいとのこと。 
確かに、フィリピン共和国(私の潜行した地域)の公式文書のうち 
どれくらいが純粋なフィリピン語で書かれていて、どれくらい英語かなんて 
そう簡単に答え出せないでしょう。 
しかも、「純粋な」ってなんだ? 

このシンポジウムを通して「言語はアイデンティティだ」という考えがあって 
その考えでいくと、とにかくその言語を操れる、ということに大きな意味があって 
どこまでの範囲をその言語で語ることが出来るかは、あまり重要ではない?かも。 

すごいな、と思ったのは、田中先生は外大に入ったときから 
まずはメジャーな言語を学んで、それからまだ研究が進んでいない少数言語の 
研究をしようと心に決めていたらしい。 
「念ずれば花開く」ではないけれど、早いうちから目標を定めて努力することの 
大切さを再確認させられました。 
どうしよう、自分・・・。 

<オーストラリア先住民族語入門―Skypeを利用した双方向授業の試み> 
まず、何よりも、拝田先生のプレゼン能力の高さに感銘。感動。感嘆。 
今Academic Presentationの授業をとっているけど、まさにそこで教わる 
全ての要素を満たしていたのではないでしょうか。 
自分の受ける授業では英語でのプレゼンの良い例しか取り上げられないのだけど 
日本語で、しかも目の前(なま)で、こんなに素晴らしいプレゼン。 
私もこんなふうに発表できるようになりたい。 

質疑応答では、ちょっと失敗したと思う。 
私はずっと気になっていたことがあって、どうしても聞かずにはおれなかったけど 
拝田先生が寛容な方だったからよかったものの、じつは恐ろしい質問を 
投げかけてしまったのかもしれない。 

先住民族の方々は自分達の事しか語らんという暗黙のルールみたいなのがあって 
例えば女性は女性について、男性は男性について、 
ある人は自分のグループの文化に関してだけ、話す。 
色やペインティングもそうで、自分の属さないグループのものは使わない。 
ではCharles Darwin Universityで先住民族の言語や文化について学んだ人たちが 
他の場所で彼らについて語ることに対し先住民族の方々はどう思っているのか。 
今まで行った先住民族についてのCultural Centreでは展示物や商品に関して 
本人たちの許可を得ていることを明示しているところが確かに多いけど、 
一方でそれを売り物にすることに抵抗している先住民族の方々も多くいる。 
だから、せっかく今日、本人方がいらっしゃるのでどうしても聞きたい!と。 
別に今日の発表に対して「これ、いいんですか~?」 
というような異議申し立てでは全くなくて、 
むしろこうして発表できるようになるまでにはどれだけの努力を 
要したんだろうか、とただただ脱帽状態という感じだった。 
それとは別にCDUを卒業して先住民族に関して教える立場に立つ 
ためには何かクライテリアがあるのかという素朴な疑問があった。 
でも、結局、返答としては 
「我々は拝田先生には感謝しているし、全く問題はない。」と。 
そして誰かが教えたいと言ったり、何か問題がある場合は毎回会議を開く。 
なるほど。 
でも私は拝田先生個人に対して批判の気持ちは全く抱いていなかったんだけど。 
なんだか、そんな風に捉えられてしまっていたらしょーっく。 
さて、 
今東外大で行われているSkypeを利用した授業も、 
先住民族本人たちから話を聞くということがどれだけ重要かを示している。 
サテライトを通じてオーソリティがサポートするのだということです。 
つまり、授業の運営業務は別の人が行って結構。 
でも肝心の先住民族に関するお話は本人たちからでないといけない、と。 
そこは徹底しているようです。 

でもやっぱり人間不信な自分は、 
でも利用されたらどうするの? 
中途半端に学んでそれを売り物にする人がでてくるんじゃない? 
という心配があって、それに対して休憩時間にもう少し個人的に質問。 

そしてたどり着いた結論は、 
CDUで学んだ人は先住民族の価値観や世界観を身につけるから大丈夫。 

他人の行為を評価するという行為自体がないのかな。 
同じ事柄についてある人はA、ある人はBと言う場合、 
まぁそれでいいじゃないか、と思うのらしい。 
すごく相手を信頼しているな、と思った。 
「相手のことを考えると、自分はこんなことすべきでない」という自制心を 
誰もが持っているという信頼感があるんだな、と。 
話をしていると、自分は非常に汚いのでは?ひねくれてるな、、、 
と思わざるを得なくなりました。 

<アイヌの言語文化―アイヌ語学の授業実践> 
いや~、これはおもしろかった。 
レジュメだけ配って、書いてあることの確認だけがぽんぽん進んで 
途中「あ~忘れちゃった~」と何度か大きな独り言を。。。 
「ここからが面白いところなのに、前期でやめちゃった学生もったいないな」 
と嫌みをぼつぼつ言いながらの発表。 
こんな先生にはなるまい。 

ひと通りアイヌとアイヌ語についてのお話があって、最後にまとめとして 
「アイヌ人が主体となった言語復興が実現することを願っている。」と。 
これに関して質疑応答では 
「現在のアイヌ語話者というのは高齢者ばかりで若い世代からも復興運動が起こり始めているが、現状は権威のある和人のアイヌ研究者に教えてもらわなければならないという状況にあるのではないか?アイヌ人が主体となった言語復興とは?」 
という質問が。 

 
ヒステリックに 
「あなたはアイヌ人のアイヌ語研修者がいないという前提で話してませんか!?」 
いや、そんなに戦闘態勢を取らなくても。 
それにご自身のレジュメにも 
「現在の状況は、アイヌ人が主体となって言語復興を推し進めるための人材育成の段階」 
って書いてあるぞ。 

また、「言語復興とは、どういう状態まで来たらその言語が復興したと言えるのでしょうか。」という質問。 

 
「私に聞いてるんですか?」 
(もちろん、あなた発表者でしょう?) 
「それ、私に聞くことじゃないですよね。」 
(少なくとも、アイヌを代弁する権利があると思ってここに立ってるんでしょう? 
 答えたらどうですか?) 
「あ~私の意見を聞きたがってるんですか。」 
(他に誰がいるというのです?それに「たがってるんですか」って・・・。) 

福岡県出身、埼玉大卒の先生にとって痛い質問だったのかもしれないけど。 
最終的に「もう発表終わっていいですか。血圧上がっちゃう。」 
(笑)ある意味、希少価値高いプレゼンターだ。 

でも振り返って考えてみると、今回のシンポジウムって 
それぞれの先生たちの功績をたたえ合うということで 
特にissueをdiscussする場ではなかったのかも。 

ノーベル平和賞受賞式で「現状をどうお考えか」と聞いてしまったような感じ? 
もう少し場の空気を読める人になるべしかも、自分。 

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